よしりん先生が、
「あの時、菅直人が厚生大臣になっていなかったら
薬害エイズ訴訟は和解していなかった」
と、菅直人の功績を認める発言したことに対して、
個人サイトに意見が寄せられました。
2011年に飯島勲が書いた
最低の男・菅直人・・・薬害エイズも他人の手柄を横取り、嘘のパフォーマンス
という記事を提示したうえで、
「官僚を悪者に仕立てることで、
ほかならぬ官僚の努力に後ろ足で
砂をかけるような仕打ちをする
菅直人を評価してよいものか、
どうかいま一度お考えください」
と「諫言」しています。
しかし、官僚を悪者にして自分の人気を高め、
政治家としての出世につなげようとした
菅直人のやり方に対しては、よしりん先生は
その当時から批判しています。
「新ゴーマニズム宣言」第28章
『菅直人への疑念と「信頼」再生の行革』
(第3巻収録・初出SAPIO1996.11.13号)
において、よしりん先生は以下のように描き、
厚生省のボスであるはずの厚生大臣が、
部下の官僚との信頼を破壊し、
自分だけ大衆人気をバックに
権力への野望を膨らませていることを
はっきり批判しています。
また、飯島の言う、
いわゆる「郡司ファイル」を
官僚が必死で探してようやく見つけたという
話も到底信用できません。
なぜなら、「郡司ファイル」の映像は
それ以前からNHKの番組で放映されており、
探さなくてもすぐ出てくることは、
原告弁護団の間では常識になっていたからです。
当時、「必死に探したらようやく出てきた」
とか官僚が言っていると聞いて、
「そんな白々しいウソをつかなきゃならない
立場も大変だなあ」と苦笑したものですが、
20年も経てば、当時を知らない人は
簡単に騙されるようです。
ともかく、当時は厚生省・製薬会社が
責任を認め、和解に応じる見通しが
立たない状況にあり、その打開のために、
よしりん先生は厚生省にテロをする
覚悟までしていたのです。
もし菅直人があの時
厚生大臣に就任していなかったら、
よしりん先生はテロをやっていたし、
薬害エイズ訴訟がこんなに
スムーズに和解に至るということは
ありえなかったのです。
これは、間違いありません。
だからこそ、批判すべきところは批判しつつ、
認めるべきところは認めているのですが、
小林よしのりよりも、飯島勲ごとき
権力のタイコモチの言い分の方を
たやすく信じてしまう大衆性は、
大いに問題ありと思います。